年末から、体調を崩していたので、やっと三連休に家族と「冬休み気分」を味わえました。
年末年始も、繋がっている人たちとのLINEのやりとり。
いつもなら、LINEが来たら、返信できるタイミングで開けて、心を整えます。
「静かなセラピストとしての感覚」と「まるで友人や家族のような親しくてあたたかい感覚」とを融合したところから、返信を書くのだけど、
なんだか、年末年始は、
「あれ?こんな感じやったやろか。」
…と、違和感がありました。
身体の調子が悪く、感覚がクリアじゃなくて、ピントがずれてるような。
なので、
「今、体調悪くて、精一杯の返信したけど、ずれてるかも」と素直に相手に伝えつつ、やりとりしていました。
どんな時も、プライベートの時間であっても、完璧であれたらいいけど、そうもいかない。
私にとっての完璧が相手にとっての完璧でないこともある。
どんなことも、そのままを受けいれて、素直に伝える。
そして、整っていく。
そんなお休みの時間でした。
そして、本番であるセッションの始まる日には、心も体もしっかりと整って、
「100%」の自分を感じての2024年の仕事はじめです。
セッションが始まって、この3日間、どのセッションもかけがえのない時間。
感動の時間が続いています。
昨日の夕飯は、餃子だったのですが、
餃子を包みながら、それぞれの時間を思いだして、涙が止まりませんでした。
お話を聴いたり、絵を描いてもらったり、質問したりするうちに
ラジオの周波数が、すっと合うように
クリアなものに変化する。
そのスッと自然に合った時の瞬間。
「命」が、ぼわっと灯るような、その瞬間で出逢えたり
今まで、本人にとって「事実」だったこと。
それ以外の設定がないから、疑う余地もなかったこと。
視界を閉ざしていた厚い壁が、崩れる瞬間。
その人に、見えている景色が一変する。
「あれ?あ、そうか。これやったんや。これでよかったんや。」
「こういうことか。この感覚やったんか。」
と、大切なことを思いだし、その人の透明度が上がる瞬間。
それを思いだして、
一人で感動して、泣きながら餃子を包みました。
私は、その方人生に大きく影響するような「源流」にアプローチする。
小手先の対処ではなくて、
「大元のところに、何か詰まっているもの」
「どこか、滞って濁っているようなところ」
「ちゃんと『ある』のにいかされていないもの」
「人生のどこかで無意識に書き込んでいる『シナリオ』」
そこを感じ取って
「本来のその人の力を存分に発揮できる人生」にシフトチェンジをお手伝いしたい。
私は、粛々とこの時間をつなげていこう。
おばあちゃんになっても
なんなら、死を迎えるその日まで、こんな日々を過ごしたい。
そんな風に腹の底の底から思えています。
みなさんの力をもらって、私の力が湧いてきている今です。
これを読んでくださっているみなさんの心の灯りも、ぽわっとあたたかく灯る一日になりますように。
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