「電子レンジ」
「使えるんだけど、もう必要ないのぉ~。」って方から受け取って「電子レンジ買い換えたいんだけど、なかなか…」って方に届ける段取りをつけました。
これね、なんで人のためにそこまでするの?と訊かれたら
表面的な理由としては、
「必要ない人がいるんだもの。ありがたくいただいたら、お互いにとって、いいやん♪」とか「ゴミを一つでも減らしたい…」とか、そういうことなんだけど、
私の本当の理由は、
「人って、本当にあたたかい。」
「人って、安心できる存在。」
「人と協力しあえることって豊か。」
「誰かと繋がれることは、幸せ。」
「誰かと繋がることは、自分と繋がること。」
そんなメッセージが心にあるから、動いているのだと思います。
「この電子レンジが欲しいけど…」と話してくださったのは、クライエントさんです。
「高くて…」と理由をつけたとしても、私には、それが本当の理由とは思えなかった。たぶん、リサイクルショップに行ったり、ネットで見たら、中古で安いものを探せると思うの。
必要だけど、買わない理由。
それは、「自分を大切にするかどうか」ということと関係していると思う。
「ご褒美」というレベルのものじゃない、生活必需品のものでも、なかなか手元に迎え入れない選択が気になったのです。
この方、きちんとお仕事もされているし、爽やかで温厚な方。素敵な人です。
でもね、育った環境は、
淋しさや孤独。一人でなんとかしなければならない現実と向き合って生きてこられました。
その環境では、なんとか生きることで精いっぱいだったのではないかと思います。
その環境で、人への信頼を感じたり、誰かといることの安心感を受け取れるチャンスは、ごくわずかだったのだと思います。
そう、「土台」に、「生きる厳しさ」が、染みついておられるように感じていました。
そんな中でも、
どんな環境であっても、心の健やかさを保ちながら、人を傷つけず、まっすぐに生きてこられました。
責めたのは、自分。
人を責めることがあっても、心の中でだけ。
充分に大人になってから、私のところに来てくださいました。
それから、何度もお話を伺い…心の紐をときながら、自分への理解をすすめながら、日常で何かあると連絡をとりあって、ここまで来ています。
今は、何十年も常にあった、心の不安感や不信感はやわらぎ、生きやすくなっておられます。
それだけでも嬉しいのですが、欲張りな私は、次は、「幸せ」に入っていく段階だと思っています。
「自分が幸せになること」や「すでに幸せであること」を感じる、感じてもいいのか!というところに差し掛かっていると思っています。
心の中を整理したり、視界を広げるお手伝いもしますが、今回のように現実でできることも、できることをやりたい。
この部分は、表現アートセラピストとしての私というよりも「竹部家の娘」である要素が働いていそうです。(笑)
その方の生活に炊飯器がきたら、自分のためにお米を洗って、炊きたてのご飯を食べることができる。「おいし。」って感じられたら、自分で自分にお茶碗一杯の幸せを与えることができる。
火花を散らす30年前の電子レンジから
1年しか使ってないけど、必要なくなったから + 誰かのもので役立てることを喜んでくれるような人からいただいた電子レンジになったら
そのことを思いだして、おかずと一緒に心もあたたまるかもしれない。
もっと心の下の層は、
「必要なのに、買ってくれない自分」から
「誰かの親切を受け取ってくれた自分」との関係が始まっていくのではないかと思っています。
「うかつに信じるな!」
「甘えるな!自分でやれ!」
って、何十年も心の中で、叫び続けていた心の番人が、
「おや、この人たちは、大丈夫なのかもしれないぞ。なんだなんだ、今までとは違うぞ・・・あれ、もしかしたら、少し前から、そうだったのかもしれない。ずっとずっと、人は危険と叫び続けてきたけど、そう思うから力が入って、上手く関係性が築けなかったのかもしれないぞ。あれ、人ってあたたかいのかも。」
なんてことになっていっている今が、本当に嬉しいのです。
依存ではなく、協力しあえる関係性。
私にできること。
自然にできること。
あたたかい気持ちでできること。
大切にして、生きていきたいです。
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